この日記

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ミルクボーイと『さよなら渓谷』は何が似ているのか

ミルクボーイの「コーンフレーク」の面白さについて考えている。
吉田修一の『さよなら渓谷』を読んでいたときに、ミルクボーイの漫才の面白さとの共通性を見つけた。

その共通性とは、「少しずつ全体像が見えていく」というものだ。

ミルクボーイの漫才では、コーンフレークの全体像を、二者が細部を肉付けしていく。パッケージには五角形があり、腕を組んだ虎がいて、という様に。ここで聞き手のイメージの中で、少しずつコーンフレークの全体像が見えていく。それは、本当に僅かな細部だからこそ良い。

『さよなら渓谷』では、ある田舎の平屋で殺人事件が起きたところから始まり、被害者の隣の家に住む容疑者の男の生活を追っていくのが話の主軸である。
容疑者の男が本当に殺人を犯したのかどうかを、報道記者が男の身元を調べるうち、段々と男の全体像が少しずつ露になっていく。

このフォーマットは、ミルクボーイのコーンフレークでも同様だ。
細部によって段々と、対象の全体像が見えていくこと。

余談だが、このような謎が露になっていくというフォーマットは「物語には『謎』がないといけない」という考えとも結び付く。
ミルクボーイの中では、駒場のオカンは決してコーンフレークを思い出せない。
『さよなら渓谷』の犯人の内面は、ずっと作品のなかで隠されたまま進む。もし一言、容疑者が被害者を殺してしまったと言ってしまえば、作品を牽引する謎は解消されて、読み手の想像は閉じてしまう。

因みに、ミルクボーイのANNでの、紅白出場後のコメントで
「びっくりしすぎて、トムとジェリーみたいになった。輪郭から目だけ飛び出たわ」
MISIAさん、って声かけたんだけど、MISIAさんって言ってるときに笑えてきて。 まさか、人生のうちでMISIAさん、って発音するとは、何日か前には思ってなかったから」
といった発言を駒場さんがしてましたが、ものすごいセンスがあると思いました。あと薄化粧のオカンって言わんといて、っていうのも良かったです。意外とブレーンは駒場さんなのかな?と思ったりしました。